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(2)タブレットはそろった。デジタル教科書と教材へ投資の英断を
~ 読み書き困難などデジタル機器の活用で学びが進む子どもたちのために、好機を活かそう ~
初回質問・初回答弁
GIGAスクール構想によって、全児童・生徒および教員に1人1台タブレットが配られることとなった。しかし、タブレットがあっても中身がないまま時間が過ぎるようでは、あまりにもお粗末である。今こそ学習者用のデジタル教科書とデジタル教材(以下、デジタル教科書および教材と呼ぶ)を試験的にも導入する好機である。誰一人取り残すことなく、公正に最適化された学びを提供すると掲げられている教育長の英断を願いたい。
厚生労働省の調査によれば、読み書きに困難さを抱えるディスレクシア等の児童・生徒は、市の小・中学校だけでも潜在的に300人以上存在する可能性が高い。しかし、実際に把握できているのは56人だけである。包括的なアセスメントが実施されず、全数を把握できていない以上、取り残された子どもたちを救うための現状最も有効な手段は、デジタル教科書および教材を活用することである。また、もちろんそれだけではなく、広く知られているように、デジタル教科書および教材活用のメリットはすべての児童・生徒に及ぶ。多くの私立校においてはすでにICTの活用が進んでおり、収入による教育格差を広げないためにも早期の導入が必要である。教員の働き方改革という点においても、導入時の負担は増えるものの、本格的な導入が進めば、採点等の手間が軽減するなどの効果が期待されている。
また、昨年4月に施行された学校教育基本法等の一部を改正する法律により、各教科授業時数の2分の1に満たないことという条件付ではあるものの、すべての生徒が紙の教科書に代えてデジタル教科書を使えることとなった(視覚障害、発達障害等の特別な配慮を必要とする児童・生徒等においては2分の1の制限はない)。環境は整っている。最も高額なタブレットは全支給されることとなっており、費用が高いという問題の大半も解消している。今こそ一歩を踏み出すときである。
以上の理由から、関連した次の質問を行う。
Q1. 市立小・中学校全クラス、全児童・生徒にデジタル教科書を、たとえば国語1教科分だけ購入する場合と全教科分を購入する場合の、つまり下限値と上限値としての費用概算はいくらか。
デジタル教科書を全クラスに入れても、1教科年間約1,900万円、思ったより安いです。一人当たり年間1,360円、ちょっとした本を買うのと同じです。金額以上の効果はあります。国語と英語の2教科だけでも、まず全クラス導入し、とりあえず使ってもらう、という方法でよいと思います。学校の判断で購入しているところもあるようですが、答弁からしても、きちんと情報が共有されていないようです。
Q2. デジタル教科書および教材についての検討状況と課題、解決策は。
教育長が言う無償のデジタルコンテンツを見せてもらいましたが、内容は補足的なものであり、教科書の内容を網羅するようなものではありません。分かっていながら、そう言わざるを得ない教育委員会の立場を感じます。
Q3. デジタル教科書および教材の導入に新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金は活用できないか。
職員の方々も、忙しい中で大変と思います。しかし、臨時交付金は、希有なチャンスです。理想的には、もっと早い段階(GIGAスクール構想の初期)から、小平市でも独自に教育のICT化に向けた検討を進めておくべきでした。そういった準備があれば、最も理想的な形でチャンスを活用できるからです。
6月の私の一般質問に対する市長答弁にて、「国や都に追従する」という趣旨の発言がありました。このときは「大きな自然災害、感染症の問題では」という前置きがありましたが、日常的な場面でも、小平市は同様の姿勢でいます。それは「チャンスを最大限に活用できない姿勢」です。市長のスタンスなので仕方のないところでもありますが、
少なくとも次回のチャンスは無駄にしないでいただきたいと、再質問でも述べました。
Q4. 国にデジタル教科書無償化の動きはあるか。
Q5. 市の予算に占める教育費配分の根拠は。全体予算の10%程度と決まっているのか。
再質問・答弁
Q. 端末の整備が整ってからデジタル教科書の導入検討が望ましいということだったが、臨時交付金が活用できるなら今から来年度分を計画しておけばよいはずだが。
最後に、今年の2月からずっとディスレクシアのことを訴えている。一般質問でも連続3回取り上げた。潜在的に300人が見過ごされていると知ったら、とてもじゃないが、知らなかったことにはできない。解決されるまで訴えざるを得ない。
教育長が言う「誰一人取り残すことなく、公正に最適化された学びを提供する」は約束事。教育のことを統括する人が、約束を破るようなことをしてはいけない。子どもは大人のそういうところを一番よく見ている。
全児童・生徒への包括的なアセスメントが行われれば、その300人が見つかる。その子たちはデイジー教科書を使うことができ、全員ではないが、デジタル教科書がなくても勉強が進む。それなのに、なぜか包括的アセスメントをしない。ならば、デジタル教科書を、応急的にでも全校児童・生徒に提供するしかない。そういうことをしない限り、誰一人取り残さないという約束が守れないと思うが、違うか。
デジタル教科書ではなく、本当は包括的なアセスメントをしてもらいたい。リソースが足りないという理由もあると思うが、では、リソースが足りないのはなぜかをしっかり解決していかない限り、子どもたちに約束しているわけだから、これを反故にするんだったら、そもそもリソースが足りなくてそれができないなら、そんな約束なんかするなという話。
想像してほしい。300人の小・中学生が、まだまだ幼くて純粋な気持ちを持っている子どもたち。その子どもたちが、学校の教科書やプリントをうまく読むことができない。ほかの子は普通に読んでいるのに、自分だけ読めない。テストのときも、友達は鉛筆が進んでいるのに自分だけ全然進まない。一人で誰にも言えずに、小さな胸の奥に、大きな不安を抱えている。自分はみんなと比べて劣っているんだと考えてしまったり、家に帰っても、親を心配させないために、教科書が読めないとか言い出せない。もしくは、頑張っているのにどうして勉強ができないのと怒られてしまう。これはお互いに不幸なことでしょう。
そういう子どもたちが、まだ見つかっていない子どもたちが目の前にいるということを想像してほしい。その子たちの目を見て、全児童・生徒にアセスメントすれば、君を見つけることもできるかもしれないと、アセスメントができなくても、デジタル教科書があれば君も勉強がはかどるかもしれないと。でも、そういったことより、エレベーターの換気機能を改修するほうが先なんだよとか、利用者が激減した公共施設の予約システムにお金を使うほうが大事なんだよとか(デジタル教科書の2年分出ることになるが)、小平ふるさと村のホームページを見るとき、スマートフォンの向きを変えても見られるようにするほうが大事なんだよとか、そういったことを言えるのか。優先順位のつけ方を間違えている、どう考えても。どう考えるか、これについては。
私はこれまで6回、11件の一般質問を行ってきました。職員の答弁で「本人の本心ではないことを述べる」ことがよくあることを実感しています。
- 自分はそういう立場だから、
- 条例に違反する可能性があるから、
- 訴えられる可能性があるから、
- 昇進に響くから、
・・・だから、こう発言しなくてはならない、そういう発想になりやすい立場なのだと思います。ただ、本心と異なることを口にし続けることのできる人は、そうはいません。どこかにほころびが出てくると思います。
この最後の津嶋部長の答弁を聞くと、内容としては冷たいものの、いつもの切り返しと比べると、あまりに質問の趣旨から逸れた答弁になっています。単に「時間がなかったからとりあえず定型文で答えた」ことも考えられますが、一方で「反論の余地がないよ」と暗に言っているようにも感じました。
世の中には本当に悪いことを考える人もいます。脳の構造上、仕方がないことと思っています。しかし、市の職員の方々は、温かい心の持ち主であることを私は信じています。
以上