市政に政党はいらない

市民が主役の市政を実現するために

image of two political parties arguing each other

「市政に政党は必要ありません」

地方政治には政党は必要ありません
市民のためにも、議員のためにも

『政党』は国政のために存在しますが、二元代表制である地方議会には不要で、害をもたらす仕組みです。この4年間の議員生活で、政党に所属している市議会議員が政党のしがらみに縛られ自由な主張や活動ができなくなっている様子を数多く見てきました。これは政治家として致命的です。

たとえば過去の議案に対する賛否結果一覧を見ていただくと分かりますが、政党(=会派)に所属すると自分の意見は違っても党の決定に従う必要があります。これはなかなか気付きにくいことで、私も議員になるまではっきりとは分かりませんでした。そのため、初めての選挙で勝つためにこのような仕組みに取り込まれてしまい、高い志を持っているにもかかわらず、苦しい思いをする議員が多いようです。

「政党に入ることで国や都との関係を築く」という考えもありますが、私は4年間さまざまな活動をし、政党に所属する議員の活動も見てきましたが、その言葉に真実を感じたことは一度もありません。政党に入らなくても関係を築けます。筋が通っている話なら、都や国にも賛同する議員がいます。

「政党に入らないと情報が入ってこない」という意見もありますが、私が参加しているような一人会派の会のように、一切しがらみがなく情報共有のできる会もあります。必要な情報は様々な方法で入手できます。

政党は慈善団体ではないため、地方議員に対して対価を要求せず、つながりや情報だけを与えることはありません。政党は地方議会に票を集める目的で侵入しているため、「票が減る」と判断されるような発言や活動はできません。自由に発言や活動ができなくなることは、自分の考えに従って世の中を改善しようとする政治家にとっては致命的です。

地方政治に政党は必要ありません。市民のためにも、議員のためにもなりません。小平市議会に「完全無所属」の議員を増やし、本来あるべき姿に戻していきましょう!

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「市民がもっと関わる行政へ」

多くの課題が未解決なのは、市民不参加の政治体制が原因

学校、子育て、高齢者福祉、障害、まちづくりなど、さまざまな分野でご相談を受けますが、どのご相談も調べると、必ず市が抱えている課題にぶつかります。選挙では毎回多くの候補者が市の課題解決を政策に上げていますが、課題は残り続けています。具体的な課題がすぐに解決しないのは、主人公である市民が政治から取り残されていることが大きな原因です。

地域には、経験や専門知識が豊富な人、地域のことをよく知っている人、感性豊かな人など様々な方がいます。小平市をよくするためにはこうした皆様のご協力が欠かせません。市民にとっては、自分が関わったことが政策として実現されれば、市政への参加意欲につながります。一方、市にとっては、市民から具体的で実効性のある提案を受け取ったり、役に立つ調査データを提供してもらえたりすることは大変有益です。経費の節減につながり、信頼関係もできます。私が議員活動をする中で、実際に目の当たりにしてきた好循環です。

この好循環を実現するためには、まず市民が提案を行いやすい環境をつくることが重要です。本当は市職員が現場に出向くことが理想ですが、市民の側で必要に応じて会をつくり、市の担当部署と話し合いの場をつくることが大切です。私たち議員もできる限り活動し、担当部署とのやり取りを密に行います。必要に応じて一般質問や請願や決議など議会での活動も併せて行います。そうして担当部署との対等な信頼関係を築き、思いを形にしていくことが理想だと私は考え、実践しています。

image of transparency

「すべては情報の徹底公開・共有から」

情報は市民のものです

市民全員で課題を解決するためには、市が持っている必要な情報を、すべて市民に公開する必要があります。公開情報は、文書を読んだり、電話や窓口で確認することで取得できます。非公開情報については、「公文書の公開請求」や「個人情報の開示請求」という情報公開の制度を使用することができます。議員としては、どちらの情報についても、さまざまな手段で深い情報を収集しようと努力します。

また、市はどのような課題を抱え、現場では何が起きているのか。市の事業はどのような背景で計画され、税金はどのように使われているのか。税金が使われた結果どうなったのか。議会ではどのように議案が扱われ、議員はそもそもいったい何をやっているのか。こうした市政運営に関する情報も分かりやすく市民の手に渡っている必要があります。市長と議員を市民が選ぶという二元代表制を成り立たせる前提条件だからです。

私が議員として関わってきた情報は、ご相談いただいている方々と密に共有し、まとめのページでも公開しています。主なポイントはまとめてふらっとレポートとして市内全戸配布もしています。市民が政治に参加しやすくなるよう、市の情報は市民も持っているという意味でのさらなる情報のフラット化を目指します。

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「困っている人を誰も見過ごさない、を信条に」

私はあまり好きではないのですが、よく使われるSDGsのフレーズに「誰ひとり取り残さない(No one will be left behind)」というものがあります。これを初めて聞いた時に違和感を覚えました。取り残さないというのは「取り残される場所がある」ことを暗に示してると感じます。分断の思想が背後にあると感じてしまうのです。原語だとbehindの対義語はin front ofやaheadですが、つまり「aheadでなければならない」といったニュアンスを感じます。

むしろ私は「見過ごさないこと」が大事だと考えています。誰かが困っていたら見過ごさず、自分にできることを常に考えて行動を起こすことが重要です。状況を認識してもすぐに対応できないこともありますし、全力で対応したところでよい結果となるかは分かりません。それでも私は見過ごさないことが多くの人を幸せにすると考え、それを信条としています。

「筋のある具体策があり、責任の所在が明確なら、職員は活躍できる」

職員の仕事にやりがいがあれば市民も幸せに

この4年間、旧佐川邸公園の整備事業、自閉症・情緒障害特別支援学級の設置、いじめ重大事態の周知推進など、市の大きな動きに貢献してきました。

こうした活動を通じて感じるのは、市の職員が安心して創造力を発揮し新しいことに取り組むためには、明確な(明文化された)責任の所在が必要だということです。もちろんそれは具体的で筋が通っている必要があります。

行政を担っているのは市の職員である一人一人の人間です。しかし職員は市民から直接選任されていないため、新しい取り組みをしようとしても責任を負える立場にありません。本来責任の所在となるのは市長ですが、残念ながらその役割を担える人物が市長になることは稀なため、新しいことはほぼ起きません。

それならば我々議員が、請願や決議、議員提出議案によって明確な責任の所在をつくってあげればよいことになります。その前提で、これまでさまざまな請願や決議をお手伝いしてきました。職員はそれに応え、状況を変えてくれました。これからもこうした有効な手段を活用し、市民の福祉向上、職員のやりがい向上を目指していきます。

なお、「請願が全会一致で採択された」というこれ以上ない明確な責任の所在をつくってもなお担当課が動けなかった事例が1件だけあります(原因もほぼ把握しています)。しかし私は、環境さえ整えば、多くの職員が素晴らしい仕事を成し遂げられると感じています。